チェンラー時代

 カンボジアの歴史についてお話ししましょう。1C、日本の弥生時代のころカンボジア南部に『扶南』と言う国が起こりました。扶南とは山を意味する『プノン』の訛った物で、扶南王国は山の王国を意味します。

 

(都は現在のプレイヴェン州のベトナムに近いバプノンにありましたが6Cにタケオ州のプノンダーに近いアンコールボレイに移りました。)

 

 奈良時代のころ、現在のラオスの南部から起こってきたアウストロアジア語系の私達の先祖のクメール人の国だんだん強くなりました。現在のカンボジア人の95パーセントがこのクメール人です。

 

 国の名前は真臘でした。真臘は扶南を併合しましたが、国が乱れて水真臘と陸真臘に分裂してしまいました。

水真臘のジャヤバルマン2世と言う王子はジャワ国へ連れて行かれて、水真臘はジャワに併合されました。

 

 ジャワから戻ったジャヤバルマン2世は国を再び1つの国にまとめました。そして、シェムリアップの北東40キロにあるクーレン山と言う山でクメール王国の独立を宣言して、クーレン山中心として(マヘーンドラパルバータと言う)都を置きました。これがアンコール王朝の始まりです。王は自らが現人神だと宣言して、神王(デーバラージャ)崇拝の思想を国民に広めました。ですから、アンコールの遺跡にある神の像は、そのお寺を建立した王の顔形をしています。

 

 ジャヤバルマン2世の後で王位を継いだインドラバルマン1世は(ハリハラーラヤと言う)都をシェムリアップから東へ13キロのロリュオスと呼ばれる地方に定めました。そして、農業用水の確保のために大きな貯水池を作らせましたが、この時の(インドラタターカ)貯水池はもうすっかり埋まってしまいました。

 

 次の王になったヤショバルマン1世はシェムリアップに遷都しました。そして、プノンバケンとプノンボックとプノンクロームと言うこの辺りの3つの小山の頂上にヒンズー教のお寺を建立しました。この3つの小山はアンコールの三聖山と呼ばれています。


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